―それから二年の歳月が流れた―
美津は子を背負って橋川の川辺りで、冬大根を洗っていた。そこへ、三年前の秋、茶店に寄ったあの僧が、帰り道に通りかかった。ところがその僧は橋の下から、お経の様な声が聞こえて来るので「フッ」と、橋の下を見ると、美津が背負った子の泣き声が、そうである事に気付き、僧は美津に声をかけた。美津は誰かが声を掛けて来るので、橋の方を見上げると、あの、三年前の秋に出会った僧がいた。美津もその僧に聞きたい事があった。洗いかけの大根をそのままにして、急いで橋の上にあがった。美津は三年前、茶店での一件から今日までの事を僧に話した。又、その事で村の人達から受ける噂に悲しい思いでいる事等、を伝えた。
僧は、「あの他の水にて沸かせる茶の泡で、宿れし子とは何故か・・・」と云って、しばらくの聞、美津の背負うその子に合掌をしてから、大きく息を吸い、その子に吹きかけた。すると不思議と、その子は地蔵の形になったかと思うと、泡の状態になり、師走の風と共に消え出した。
尚、その僧はもうひと息を吹きかけると、全てが泡となり消えてしまった。美津は驚いた。「なぜ、子を消してしまったのですか」、と訪ねた。僧は、「池にある地蔵尊の化身だよ」と云って、美津の心を静めた。又、僧は、「真(まこと)の子なら私が吹いても消えないはず」真の生命(いのち)あるものを吹き消す等、出来ない事
続けて、僧は、いつも、川辺で仕事に精だし、心の優しい美津故、地蔵尊が化身となり、 美津を通じて村の人達に、池の底で埋もれて供養が出来ずにあること。縁ありて、出会う人達や、事の起こる諸々(もろもろ)には皆「わけ」があっての事。また、「人の悩み、苦しみを共に解ってあげようとする思いやりの心を悟そうとしているのだよ」と、美津や集まって来た村の人達に伝えた。
その後、「泡子地蔵尊」として、橋川近くにある「西福寺」と 云うお寺の境内にお堂を建て、村の人達が供養する様になった。美津も、村人達の誤解がとけて、以前の明るさを取り戻し、忙しく、往来の人々が立ち寄る茶店で、立ち働いていた。茶店の、紺色の「のれん」も楽しげに、風に揺れていた。