仙次が和尚に頼むと読んで聞かせてくれた。内容は、仙次の実の父「時次」は、仙次が一才の頃、妻「よし」を病気で亡くし、時次は渡世人で、仙次を育てることが出来ず、仙次を幼馴染みの「辰吉」「とよ」夫婦に預けた。子の無かった夫婦に仙次は可愛がられていた。
しかし、仙次六才の時、辰吉が病気で亡くなった後、「とよ」によって仙次は育てられた。「とよ」は内職の針仕事で暮らしていたが、除々に視力が落ちてしまい、時には仙次が母をみる様になる。云わばお互い、かばい合う暮らしになった事。仙次が子供仲間から、いじめられたりしている頃、ひょっこり、時次が顔を出した事が書かれてあった。
―仙次八才の八月十七日の日であった―
再び、仙次の記憶にある子供の頃の、たった一度の出会いを思い出した。長光寺の縁日に連れて行ってもらい、風ぐるまを眺めていた事、又、「肌守り」を首から掛けてもらった事を覚えている。仙次には、あまりにも近親感をもった思い出として残っている。そのとき、父時次も同じ「肌守り」を身につけた。父子して同じものを身につける事で、時次は繋ぐものを、どこかに作ろうとしたのではなかろうか・・。子供の頃の仙次には知る由もなかった―。又その日、時次が村を離れる時、幾らかの金子をとよに渡し、二度と村には帰らない事、又、自分が亡くなる時は、「肌守り」を誰かにことずけ、自分が亡くなった事を知らせる旨の事が書かれてあった。
仙次が伊勢の伯父を頼って十五才に村を出てから後の事は何も記されていなかった。又、自分の苦労ばなし等は一切書かれていなかった。ただ、仙次には申しわけない、との一言がつけ加えられていた。
とよの手紙に書かれたことを仙次は黙って聞いていた。又、この手紙を読み終へた和尚も代筆した自分が、あらためて仙次に読んで聞かせるめぐり合わせに合掌をした。そうして一年前の八月に「とよ」がこの世を去ったことを仙次に伝えた。
仙次は和尚に礼を云い手紙を受け取った。十年前、忘れはしないあの「土山」の山中で、ことづかったものが母とよに渡して欲しいものであった事を理解した。
仙次の足は、あの山中に向かっていた。だんだん足早になり、たどりついた小屋は、もう砕けてしまって、板切れだけが誰かによって積まれていて、草が生えていた。まばゆい五月の陽の光りの中、緑の草が風に揺れている。
小屋があったその跡地は、平地になって、その奥に丸い石が、土の少し盛ったところに残っていた。仙次はこの時、初めて胸に込み上げて来る熱いものを、押さえ切れず、膝をつき肩を震わせた。涙が頬を伝っている。
この幸い薄き、父と子の数少ない一生涯での出会いが、一期一会にして、一つ一つが最期になり、出会いの意味の深さを教えている様である。子供の頃から、涙など出した事の無い仙次であったが、なぜか涙が流れて仕方が無かった。何か長い間の積もったものが、塞きを切って流れる様であった。別に悲しい訳でもない、その涙のひとつ、ひとつが仙次の心を洗い流してゆく様であった。
夫々が、夫々に、そうとしか生きてゆけないものが有ることを、ゆるす気になって来た時、仙次が長い間、世間との係わりに背を向けて来た「かたくな」な心から解き離たれ、この世で、こんなに、安らかな気持ちになれる事を、仙次は生まれて初めて知った。