中山道制定400年---1902年創業---次の100年(世紀)に向って

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中山道制定四百年 武佐宿

(社)近江八幡観光物産協会

 中山道は古代東山道を継ぐ道筋で江戸時代には五街道の一つに数えられていました。この中山道が(1602年に)制定されて四百年余り。近江路には柏原から草津まで九つの宿場があり近江八幡には武佐宿があります。
 この地は、武佐宿を起点に伊勢に向かう八風街道(八日市、永源寺を通り八風峠を越え伊勢へとつながる街道で海産物、紙、布等の物資が行き交ったとされています。現在の国道421号線がほぼ踏襲)や八幡町内へ分岐する交通の要で長さは約一キロメートルに及びます。
 江戸時代に入って宿次・伝馬の法が一新され、武佐宿は大駅となり、宿村大概帳によれば、宿高八百九十余石、町並み八町二十四間、本陣一、脇本陣一、問屋ニ、高札ニ、旅籠二十三、人足五十人、馬五十頭(最も賑わったときは百五十頭)、家数百八十三、人口五百三十七人と記されています。
 江戸時代の最も盛んな頃は三千人余の人の往来があり、近江商人もさかんに行き来したと思われます。その当時の風景は、安藤広重によって木曽街道六十九次にも描かれています。
 またかつては武佐升(近江升とも言われる八合升)や武佐墨(平安時代後期には紀伊国の藤代墨と並び名産だった)などの特産もあったと伝えられています。
※中山道はかつて中仙道とも記されましたが、幕府は正徳六年(1716年)に中山道と改めました。

武佐宿本陣跡
【武佐宿本陣跡】
武佐小学校制作の看板が掲かっている。
現在は「下川邸」となっています。

伊庭家クスの大木
【クスの大木】
伊庭貞剛を生んだ伊庭家の屋敷跡にある。
現在は「いばecoひろば」となっています。

伊庭貞剛
【伊庭貞剛】
(住友資料館蔵)
住友財閥を育て、100年前に環境問題を考えた実業家

↑上記の記事及び画像(4点)は(社)近江八幡観光物産協会2002年2月1日発行の
「滋賀近江八幡水都八都(おうみはちまんすいーとはーと)」No.17からの抜粋です。

近江(滋賀)の中山道(なかせんどう)・八風街道(はっぷうかいどう)・東海道(とうかいどう)

近江旧街道

中山道「武佐宿」ガイドマップ
(↓クリックすると表紙ページが開きます)

「ふるさと街道/武佐宿物語」は当サロン久松英夫著書の短編時代小説です。
武佐宿物語表紙
下記の施設では「製本版」が貸出可です。
近江八幡市立図書館
滋賀県立図書館
図書館ホームページの検索で「武佐宿物語」と入力して検索してください。



scince1902

~Since1902~

 おかげさまでヘアーサロン久松は、明治35年(1902年)11月26日の創業日より、今日に至るまでの「百有余年」ものあいだ、当地中山道武佐宿において「伝統」と「革新」とを折り重ねながら、明治維新「西洋理髪文化伝来」にともない、日本理容の歴史「理容業」としての歴史を共に築き上げてまいりました。

 これもひとえに地域の皆様方のご贔屓と、当サロンをご支援して下さる皆様方のお力添えにより、成し得ることが出来た賜物であります。この場をお借りいたしまして、日頃の感謝とご厚情に厚く御礼申し上げます。

 また、昨今の日本経済景気低迷の中、継続することの意義と難しさを身にしみて感じながらも、制定「400年」を越える中山道武佐宿で、創業100年(1世紀)を越えられましたことは、この上ない慶びであります。ここに改めて感謝申し上げます。

 思えばこの地で初代、延治郎(えんじろう)に始まり、誠夫(まさお)、英夫(ひでお)、当サイト管理人の私、靖弘(やすひろ)で四代目であります。

 これからも四代で「100年」と言う歴史から脈々と受け継がれてきました「技術と感性」とで地域社会に貢献し、皆様方のニーズに幅広くお応えし、どんなに時代が変わろうとも「真剣さ・精神の集中・熟練度」を常に意識し、次の100年(世紀)に向って「愛される老舗サロン」を目指し、更に邁進していきたい所存でございます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします!

管理人
ヘアーサロン久松(四代目)
久 松 靖 弘(亡)

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[会 社 概 要]