泡子地蔵
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そうした日の事があってから
晩秋の風が吹く頃、美津は体調が少し変な事に気がつき、父に診てもらったら、懐妊しているとの事。父は美津にその事で詰問をするが、美津には全く思いあたるふしすら無い。父も美津にその様な相手が無い事も解っていた。誠に不思議な事である。
美津のお腹が次第に大きくなり、次の歳の夏には子供を産んでしまった。産んだと云うより、美津には知らない間に生まれていた。「誰の子を産んだのか、嫁ぎもしないで子を産むとは…ふしだらな娘だ」と云う村の噂になり、美津も茶店へ行きづらくなった。
美津のいない店は、火が消えた様に淋しかった。あの美津の笑顔と、客への挨拶の声は一段と茶店の明るさを作っていたが、今はその声も聞けなくなった。美津も淋しかった。解って欲しかった。唯、父と伯母は美津の味方だった。
美津自身も、身に覚えのない子を産む事になった、不思議な体験を人に話しても解ってもらえないが、美津は人が云う、ふしだらな女でない、と云う事が解って欲しかった。美津に対するまわりの冷たい視線が、美津の心を暗くさせ、より村は明るさを失っていった。
それから二年の歳月が流れた
美津は子を背負って橋下の川辺りで、冬大根を洗っていた。そこへ、三年前の秋、茶店に寄ったあの僧が、帰り道に通りかかった。ところがその僧は橋の下から、お経の様な声が聞こえて来るので「フッ」と、橋の下を見ると、美津が背負った子の泣き声が、そうである事に気付き、僧は美津に声をかけた。
美津は誰かが声を掛けて来るので、橋の方を見上げると、あの、三年前の秋に出会った僧がいた。美津もその僧に聞きたい事があった。洗いかけの大根をそのままにして、急いで橋の上にあがった。美津は三年前、茶店での一件から今日までの事を僧に話した。又、その事で村の人達から受ける噂に悲しい思いでいる事等、を伝えた。
僧は、「あの他の水にて沸かせる茶の泡で、宿れし子とは何故か…」と云って、しばらくの聞、美津の背負うその子に合掌をしてから、大きく息を吸い、その子に吹きかけた。すると不思議と、その子は地蔵の形になったかと思うと、泡の状態になり、師走の風と共に消え出した。
尚、その僧はもうひと息を吹きかけると、全てが泡となり消えてしまった。美津は驚いた。「なぜ、子を消してしまったのですか」、と訪ねた。僧は、「池にある地蔵尊の化身だよ」と云って、美津の心を静めた。又、僧は、「真(まこと)の子なら私が吹いても消えないはず」真の生命(いのち)あるものを吹き消す等、出来ない事
続けて、僧は、いつも、川辺で仕事に精だし、心の優しい美津故、地蔵尊が化身となり、 美津を通じて村の人達に、池の底で埋もれて供養が出来ずにあること。縁ありて、出会う人達や、事の起こる諸々(もろもろ)には皆「わけ」があっての事。また、「人の悩み、苦しみを共に解ってあげようとする思いやりの心を悟そうとしているのだよ」と、美津や集まって来た村の人達に伝えた。
その後、「泡子地蔵尊」として、橋川近くにある「西福寺」と 云うお寺の境内にお堂を建て、村の人達が供養する様になった。美津も、村人遠の誤解がとけて、以前の明るさを取り戻し、忙しく、往来の人々が立ち寄る茶店で、立ち働いていた。茶店の、紺色の「のれん」も楽しげに、風に揺れていた。
完
※尚、池を阿礼井池(あらいいけ)とされ、西生来(にしょうらい)と 云う名のもと、と言われているが、今は源泉を清水(しようず)と云う。
※橋の事を「はしがわ」と呼び、その川辺に「大根不洗の川」の石碑がある。その川の水は冬には枯渇する。
※地蔵正月「一月二十三日」・地蔵盆「八月二十三日」として供養が行われている。茶店のあった所は、今は民家となっている。