東山道返り道

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近江国(中山道武佐宿)

 白い埃道が、長光寺山の麓をくねりながら、朝霧の中から浮かび上がって来た。頃は初秋、東山道、山裾道は静かだった。立ち止まった足の、草鞍と脚絆が埃にまみれている。道中笠から遠目に見る、山裾の先に武佐宿が薄っすら見える。武佐宿は、東山道(とうさんどう)、中山道(なかせんどう)、八風街道(はっぷうがいどう = いせ道)との合流地である。

 東山道は江戸時代以前からの道で、西(草津)の方に「鏡村の宿場」があり、東(愛知川)の方に「小脇村の宿場」があった。東山道は西から来て、長光寺山の麓道より長光寺村に入り、ニツ橋を渡り、武佐宿裏に至る。そこから八風街道を横断すれば中山道と平行になり、二丁(十二軒)程行くと、浄宗院横を通り、武作寺小路に入る。

 道は武作寺角の石垣に当たり、そこで道は門前を左に折れて、わずかばかり行くと中山道に出る。そこが武佐宿の東の方になる。云わば、武佐宿を通る東山道は中山道を平行に少し迂回した道となっている。

 中山道は以前、木曾街道と云われ、江戸中期順に中山道と云われる様になった。又、八風街道は中山道より分かれ、永源寺の村を越え、八風峠へ向かう道である。この道は小脇の手前より伊勢に向かう道があり「いせ道」とも云われている。八風街道は武佐宿を起点に本陣横から南に発し、浄厳院道は北に向かい、武佐宿の丁度、中程を抜けている。

 中山道、武佐宿は東西に細長く伸びていて、本陣、脇本陣、問屋が二箇所、旅龍二十三軒、松平周防守の陣屋もあり、番所やその他関連する商家や職人店等があった。しかし、まだ宿場としての、統一された形が出来る前の頃は、道が合流し、中山道を人が通り、道沿に家が建ち、東山道から中山道に移り住む人が増え、人を泊め、宿を貸す、と云った状態だった。

 武佐の宿場も、こうした新しい流れの中から生まれてきた宿場町である。中山道は東山道よりあとに出来た道で、淋しくなる道と、人通りの多くなる道との違いが出来る。中山道は人の出入りも多くなり、他国の話や、裏話の情報も聞く事が出来、色々な人達が行き交う庶民街道である。武佐宿には、木賃宿、角力取宿、博打宿、等いろいろな宿屋があって、武佐宿もまさに庶民宿場である。博打宿では、商売人、職人や旅人等が出入りをしている。こうした宿場の中にあって、又、渡世人も多く立ち寄る事があった。

髪幸生挿絵

渡世人の「仙次」と云う男

 この武佐宿で、幼い頃から育った仙次も、宿場の「生き馬の目を抜く」と云われる程の勢いの中で、自然と身に付けたものがあった。それは、世間の喧騒との係わり合いから離れると云う事であった。幼くして父や母と別れ、育ての母「とよ」と共に暮らしたのが、仙次十五才までで、後は他国での、渡世の暮らしであった。

 仙次は足を早めながら、母の居る家に心馳せていた。久しぶりに帰る、ふるさと道。達者で居るだろうか…。仙次は東山道の長い山裾道から長光寺村へ入り、おたね薮の横を通りニツ橋を渡り武佐宿裏へ出た。そうして中山道の本陣横から直角に出ている「ハ風街道(いせ道)」を横切った。丁度、中山道から六軒目の裏道(東山道)を東の方向に突き進んだ。

 そうして武作寺裏参道にさしかかった時、バラバラと六人のやくざ風の男達に囲まれた。その中の頭(かしら)らしき者が怒鳴った。

「やい、仙次!」
「よくもぬけぬけと帰ってきゃあがったな」
「お前のお陰でひどい目に遭った」
「覚悟せい!」

 いきなりの罵声である。ニツ橋の渡しで見られたのだろう、待ち構えていたらしい。仙次は五年前、武佐宿での事を思い出した。賭博中の出来事で喧嘩となり、賭場が火事で焼けてしまった。当時、仙次は他国での賭場暮しであったが、たった一度、この武佐宿の賭場へ立ち寄った事があった。

「いかさま」を許せない仙次との間で喧嘩が起こった。怒鳴った男は権左と云い、長政の使い走りであった。当地、親分の長政はよくできた人で、渡世人の中でも一目おかれていた。しかし、親分が亡くなったあと、権左がいつの間にか取り仕切る様になり、堅気の人にも手をかけ、盗みもやりだした。いはば、町のきらわれ者であった。

 手下の一人が後ろから切りかかって来た。仙次はかわしざまに相手の胴へ、横一文字に脇差を払った。相手は、もんどり打って、積み上げた水桶の山にぶつかってのけぞった。二人目が横からドスで突いて来た。咄嵯にかわして、脇差を上に振り上げた。相手の腕を切り裂いた。

髪幸生挿絵

 三人目が前から大上段に振り降ろそうとして進んで来た。仙次はすかさず、相手の顔をめがけて合羽をかぶせ、その真ん中あたりを突き刺した。

「ワーッ!」とわめいて、仰向けに倒れた。そのすぐさま左横から竹槍が脇をかすめた。すかさず脇を閉じて、竹槍を握って引き倒し、相手の腹をめがけて脇差を上から突き立てた。一気に四人とのケリがついた。残りは― と、よく見ると権左と手下一人だった。手下は震えていた。

 権左は、「覚えていやがれ!」と仙次に捨てゼリフで逃げ去った。仙次は、刀を鞘におさめ、竹槍でかすめた上腕を手拭いで縛った。浅い傷の方だった。

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